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名古屋地方裁判所 昭和57年(行ウ)23号 判決 1985年9月04日

原告 山口幸一

被告 株式会社壹光堂

右代表者代表取締役 杉﨑三男

被告 国

右代表者法務大臣 嶋崎均

右指定代理人 荻野志貴雄

<ほか四名>

主文

一  原告の被告国に対する労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付として金二七三万七〇六二円の支払を求める訴えを却下する。

二  被告株式会社壹光堂は原告に対し、金四万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五五年五月一日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

三  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用中、原告と被告株式会社壹光堂間で生じた分はこれを一〇分し、その九を原告の、その一を被告株式会社壹光堂の各負担とし、原告と被告国間で生じた分は全部原告の負担とする。

五  この判決の主文第二項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告株式会社壹光堂との間において、原告が雇用契約上の権利を有することを確認する。

2  被告株式会社壹光堂は原告に対し、金六二万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五五年五月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

3  原告と被告国との間において、原告が健康保険の被保険者であることを確認する。

4  被告国は原告に対し、金三二三万七〇六二円を支払え。

5  訴訟費用は被告らの負担とする。

6  第2項及び第4項につき仮執行宣言

二  被告国の本案前の答弁

主文第一項同旨

三  本案についての被告らの答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告株式会社壹光堂(以下、「被告会社」という。)は印材の販売を目的とする会社であるが、原告は、昭和五五年三月二七日賃金は毎月一二万五〇〇〇円、支払方法は前月一六日から当月一五日までの分を毎月二八日に支払うとの約定のもとに被告会社へ入社した。

2  原告は、同年四月五日営業先から被告会社へ帰る途中、国鉄名古屋駅のプラットホームから中廊下に降りる階段で、ラッシュアワー時の混雑のため人に押されて側壁に頭部を打ち、同月七日に中部労災病院で診察を受け、同日から同月二五日まで被告会社を休業した。

3  原告は、その後被告会社に対し、労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」という。)に基づく労災保険給付の請求をするため何度も事業主の証明を求めたが、その証明を拒否された。

4  原告は、同年四月二八日健康保険傷病手当金の請求に必要な事業主の証明を受け、これに基づき同年五月二六日に健康保険傷病手当金として三万三三五四円の給付を受けたが、右事業主の証明を求めた際被告会社は、傷病手当金請求書に被告会社に迷惑がかかるときは原告が責任をとる旨の文言を記載するよう原告に強要し、原告をしてその旨書かせた。

5  被告会社は原告に対し、同年三月二七日から同年四月一五日までの賃金一二万五〇〇〇円を支払日である同年四月二八日を経過するも支払わない。

6  被告会社は、実際には会社を廃止していないにも拘らず、会社を廃止したものとして同年五月以降その事務所を閉鎖し、原告との間の雇用契約の存在を争い、従業員として取扱わない。

7  被告会社は右のように事務所を閉鎖し、原告の休業証明を行わなかったため、原告は昭和五五年五月以降の健康保険傷病手当金の支給を受けられなかった。

8  原告は被告会社の右3ないし7記載の不法行為により多大の精神的苦痛を被り、これを慰藉するには五〇万円が相当である。

9  原告は、被告会社への入社により政府を保険者とする政府管掌健康保険の被保険者資格を取得したが、被告国の機関である中村社会保険事務所は、昭和五五年六月一一日原告に対し健康保険被保険者証の返納を求める通知をなし、同年一〇月一日に原告が同事務所に対し、同年五月一日以降分の健康保険傷病手当金の請求をしたところ、同保険事務所は事業主の証明がないため請求書を返戻した。その後も原告は同様の請求をしたが、同事務所は、原告が健康保険の被保険者資格を喪失したものとして被保険者であることを争っている。

10  原告は、昭和五五年六月一六日被告国の機関である愛知労働基準局に対し、被告会社が原告の同年四月分、五月分の賃金を所定の支払日を経過しても支払わないこと、及び労働基準法(以下、「労基法」という。)一九条に反して原告が病気療養中に被告会社が事務所を閉鎖し、何らの連絡もなく原告との雇用契約関係を放置していることを是正させるよう労基法一〇四条の申告をした。しかるに、同労働基準局は、何ら右是正の措置を被告会社にとらせなかった。

11  原告は、昭和五五年五月一日から同五八年四月三〇日まで前記2記載の労災事故に基づく頭部外傷により療養のため働くことができなかったが、名古屋西労働基準監督署長は原告に対し、労災保険法に基づく休業補償給付の支給をしない。

右期間分として支給すべき額は、二七三万七〇六二円になる。

(12万5000円÷30日×60/100)×1095日=273万7062円

12  右9ないし11記載の、中村社会保険事務所及び愛知労働基準局の不法行為により、原告は多大の精神的苦痛を被り、これを慰藉するには五〇万円が相当である。

よって、原告は、被告会社に対し、原告が雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求め、未払賃金一二万五〇〇〇円と不法行為に基づく損害賠償金五〇万円の合計六二万五〇〇〇円及びこれに対する弁済期以降の日である昭和五五年五月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、被告国に対し、原告が健康保険の被保険者であることの確認を求め、労災保険法に基づく休業補償給付金二七三万七〇六二円と不法行為に基づく損害賠償金五〇万円の合計三二三万七〇六二円の支払を求める。

二  被告国の本案前の主張

労働者災害補償保険は、政府が管掌し、その事務は事業場の所在地を管轄する都道府県労働基準局長及び労働基準監督署長が行うものであって、休業補償給付の支給を受けようとする者は、所轄労働基準監督署長に対し、一定の事項を記載した請求書を提出しなければならず、この請求に基づき法所定の手続により労働基準監督署長が保険給付の決定をすることによって給付の内容が具体的に定まり、受給権者は、これによって初めて政府に対し保険給付を請求する具体的な権利を取得するのであって、それ以前には具体的な保険給付請求権を有しないところ、原告は法所定の支給請求をしていないから、右の保険給付の支払を請求する具体的な権利を有していないというべきである。

従って、かかる場合に訴訟により直接被告国に対し休業補償給付の金員の支払を求めるのは、裁判所が行政庁に代って保険給付たる処分をなすことを求めるもの、あるいは行政庁に保険給付たる処分を命ずるものに変りはなく、この意味において義務づけ訴訟の一種であって、法の定める労災保険給付の請求手続、その給付に関する処分の通知、不服申立方法である審査請求及び再審査請求、抗告訴訟の制度の趣旨を没却するものである。

よって、労災保険法に基づく休業補償給付の額であるとする金二七三万七〇六二円の支払を求める訴えは、不適法として却下されるべきである。

三  本案前の主張に対する原告の認否

原告が労働者災害補償保険の休業補償給付の支給請求を所轄労働基準監督署長に対してしていないとの事実は否認する。

原告は、昭和五五年六月一六日に愛知労働基準局に右請求をなし、同局監督課を通じ所轄の名古屋西労働基準監督署長にこれを送付する旨言われたものである。

四  請求原因に対する認否

(被告会社)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実のうち、原告がその主張する期間休業したことは認めるが、その余の事実は知らない。

3 同3の事実は否認する。

4 同4の事実のうち、原告が昭和五五年四月二八日にその主張のような事業主の証明を受けたことは認めるが、健康保険傷病手当金の給付を受けたことは知らない。その余の事実は否認する。

5 同6の事実のうち、被告会社が実際には会社を廃止していないとの点は否認し、その余の事実は認める。

6 同7の事実は知らない。

7 同8は争う。

(被告国)

1 請求原因1の事実のうち、被告会社が印材の販売を目的とする会社であること、原告と被告会社との間に雇用契約が存在したことは認めるが、その余は知らない。

2 同2の事実のうち、原告が昭和五五年四月七日から同月二五日まで被告会社を休業したことは認める(休業したのは同月六日からである。)が、その余は知らない。

3 同4の事実のうち、事業主証明を受けたこと及び健康保険傷病手当金の給付を受けたことは認める。なお、同給付は、同年五月二三日付の国庫金送金通知書をもってなしたものである。その余は知らない。

4 同5ないし7の事実のうち、同年四月分賃金の一部である四万五〇〇〇円が同年一〇月一七日現在支払われていないこと、被告会社が原告の同年五月一日から翌五六年三月一〇日までを請求期間とする健康保険傷病手当金請求書に事業主証明をしなかったこと、原告が右請求につき支給を受けられなかったことは認める。なお、原告が右の支給を受けられなかったのは、健康保健被保険者資格喪失後の期間にかかる請求であり、かつ、健康保険法五五条ノ二に該当するものでなかったためである。

また、同会社は、昭和五五年四月二九日に事実上倒産したものである。

5 同9の事実は認める。なお、健康保険被保険者証の返納を求める通知は、同年六月九日付の文書によってなしたものであった。

6 同10の事実のうち、前者(賃金不払)の申告があったことは認め、その余は否認する。後者については、被告会社の事業場が事実上閉鎖されており正式な解雇通告がなされなかったとの申告があったのみであって、労基法一九条に違反するという申告があったわけではない。

そして、前者(賃金不払)の申告については、昭和五五年一〇月一七日、津島労働基準監督署の労働基準監督官(以下、単に「監督官」という。)である豊田高次が、原告の申告どおりの是正勧告書を被告会社の代表者杉﨑三男(以下、「杉﨑」という。)の妻で同会社役員である杉﨑美代子に交付した。

なお、正式な解雇通告がなかったとの申告については、被告会社が事業場を閉鎖し、原告がその事実を了知しうる状態におかれた同年五月一日をもって、この外形的事実に基づく黙示の解雇の意思表示が原告に対してなされたものとみるのが過去の判例等からみて相当と思われるので、右解雇の意思表示から三〇日経過後の五月三一日をもって解雇の効力が生じ被告会社との労働契約はこの日をもって終了しているものと判断する旨の昭和五六年二月二六日付の回答文書を原告に送付した。

7 同11の事実のうち、原告に対し労災保険法に基づく休業補償給付をしていないことを認め、その余は知らない。右給付をしていないのは、その請求がないので当然である。

8 同12は争う。

五  被告国の主張

1  労災保険法に基づく休業補償給付を求める請求について

休業補償給付を求める訴えが仮に適法なものであるとしても、前記のとおり、原告は、その支給請求を要するのにこれをしておらず、従って、支給決定もなされていないのであって、原告は未だ同給付の支給を請求する具体的権利を取得していない。

2  慰藉料の支払を求める請求について

原告は、請求原因9ないし11の中村社会保険事務所及び愛知労働基準局の不法行為とそれによる損害の発生(精神的苦痛)を請求原因として右請求をしているが、その主張においても不法行為者が特定されておらず、しかも、以下のとおり不法行為自体もいずれも存在しないのであるから、慰藉料の支払を求める請求は理由がない。

(一) 請求原因9の不法行為がないこと

後記被告国の抗弁に記載のとおり、原告が健康保険の被保険者資格を喪失したので、中村社会保険事務所長は、原告に対し健康保険法施行規則二三の三第一項ないし第三項により健康保険被保険者証の返納を求める通知をしたのであり、また原告が右資格を喪失していないとして、同保険傷病手当金請求書の受理を求めたので形式的にも事業主の証明(同施行規則五七条二項二号)がないことを指摘してこれを返戻したものである。

よって、右事務所の行為は、いずれも適法かつ正当なものであって不法行為に当たらないことは明らかである。

(二) 請求原因10の不法行為がないこと

賃金不払の是正を求める申告は、労基法一〇四条一項の申告と善解されるところ、請求原因10に対する認否において主張のとおりその是正勧告をなした。

また、雇用関係放置の是正を求める申告も同法一〇四条一項の申告と善解されるところ、請求原因10に対する認否において主張のとおり、原告の主張するような申告自体存しない。

なお、同法一〇四条一項の申告は、労働者の監督官に対する事業場に労基法違反の事実が存する旨の通告であり、原則としてこの申告は監督官の使用者に対する監督権発動の一契機をなすものであっても、監督官に申告に対応する調査等の措置をとるべき職務上の作為義務まで負わせるものではないから、いずれにせよ愛知労働基準局の行為は適法かつ正当なものであって不法行為に当たらないというべきである。

(三) 請求原因11の不法行為がないこと

前記「被告国の本案前の主張」記載のとおり、休業補償給付の支払をしないのは、法所定の請求がなく、保険給付に関する決定がなされていないため支給義務がないからであり、従ってその支払をしないことに何ら違法はなく、不法行為に当たらないのは明らかである。

六  被告国の主張に対する原告の認否

1  被告国の主張1については、本案前の主張に対する認否と同じ。

2(一)  同2の(一)の事実のうち、原告が健康保険被保険者資格を喪失していないとして同保険傷病手当金請求書の受理を求めたことは認め、その余は争う。

(二) 同2の(二)の事実のうち、賃金不払の是正を求める申告及び雇用関係放置の是正を求める申告が労基法一〇四条一項の申告に該ることを認めるが、原告の愛知労働基準局に対する賃金不払の是正を求める申告について是正勧告がなされたとの点は知らない。原告から雇用関係放置の是正を求める申告がなされていないとの点は否認する。原告は、昭和五五年六月一六日に愛知労働基準局監督課に対し、また、同年九月八日に名古屋西労働基準監督署に対し、いずれも右の後者の申告をなしたものである。

七  被告らの抗弁

(被告会社)

被告会社は昭和五五年四月末日不渡手形を出して銀行取引を停止され、事実上倒産した。このため、同年五月初めにかけて社員も退社してしまい以後営業所を閉鎖して営業活動は一切行っていない。被告会社はこれにより原告をもはや雇用する意思がないことを明らかにしたものである。

(被告国)

原告は、被告会社に使用されていた健康保険の被保険者であったが、同会社から昭和五五年六月五日その事業所に使用されていた健康保険の被保険者全員につき、健康保険法八条に基づく被保険者資格喪失届が中村社会保険事務所長に対してなされた。そこで、同所長は、右届出に至った経緯等につき調査したところ、同年四月二九日に被告会社が事実上倒産したことが判明したので、右同日をもって健康保険法一八条の「其ノ業務ニ使用セラレサルニ至リタル日」と認め(なお、右の「業務ニ使用セラレサル」とは事実上の使用関係がなくなることと解するのが相当であって、右の事実上の倒産はこれに該当する。)、その翌日より被保険者資格を喪失したとする同法二一条の二第一項の確認を同年六月一六日に行った。

八  抗弁に対する認否

1  被告会社の抗弁事実は否認する。

2  被告国の抗弁事実中原告が被告会社に使用される者として被保険者であったことは認め、同会社が昭和五五年四月二九日に事実上倒産したことは否認する。その余の事実は知らない。

九  再抗弁

(被告会社の抗弁に対し)

仮に被告会社主張のように原告に対し解雇の意思表示がなされたとしても、右解雇は前記請求原因2記載の事故により原告が業務上負傷し、その療養のため休業している間になされたものであるから、労基法一九条に違反し無効である。

(被告国の抗弁に対し)

被告会社は事実上倒産したものではないから、中村社会保険事務所長のした右倒産の事実を前提とする原告についての被保険者資格喪失の確認処分は無効である。

一〇  再抗弁に対する被告らの認否

(被告会社)

再抗弁1の事実のうち、原告が業務上負傷したこと及び休業したのがその療養のためであることは知らない(原告が休業したことは認める。)。

(被告国)

再抗弁2のうち、中村社会保険事務所長に原告主張のような事実誤認があったことは否認し、被保険者資格喪失確認処分が無効であるとの主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  原告の被告国に対する労災保険法に基づく休業補償給付金の支払を求める訴えの適法性について判断する。

1  原告は被告国に対し、昭和五五年四月五日に発生した労働災害によって受けた傷害の療養のため、同年五月一日から昭和五八年四月三〇日まで就労できなかったとして、労災保険法に基づき右期間の休業補償給付二七三万七〇六二円の支払を訴求するものである。

労災保険法によると、同法に定める休業補償給付は被災労働者からの請求に基づいて行うもので(同法一二条の八第一項、二項)、右請求は、被災労働者が使用される事業所を管轄する労働基準監督署長に対し、所定の事項を記載した請求書の提出をもって行うことと定められ(同法施行規則一三条)、右請求を受けてなされた労働基準監督署長の支給又は不支給決定に不服がある者は労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をし、その決定に不服のある者は労働保険審査会に対して再審査請求をすることができることとされている(同法三五条)。他方、再審査請求に対する保険審査会の裁決を経た後でなければ、労働基準監督署長の支給又は不支給決定の取消しの訴え又は右裁判の取消しの訴えを提起できないと定められている(同法三七条)。

このように見てくると、労災保険法所定の給付事由が発生することにより直ちに被災労働者に具体的な休業補償給付請求権が生ずるものではなく、労働基準監督署長の支給決定によって初めて被災労働者は具体的金額の休業補償給付請求権を取得するものと解すべく、右支給あるいは不支給決定に不服のあるものは右法定の手続に従ってその取消を求めるべきものであって、行政庁や国に対し保険給付そのものやあるいは支給決定を訴求することは許されないところである。

しかしながら、本件全証拠によっても、原告が所轄の労働基準監督署長に右規則一三条所定の請求書による請求をした事実や、同監督署長が請求に応じて支給決定をした事実を認めることができないばかりか、却って、《証拠省略》を総合すると、原告は、そのような休業補償給付の請求をしていないことが窺われるところである。とすれば、原告は未だ具体的な休業補償給付請求権を取得していないことが明らかであり、更に本訴えは右諸手続に違背し、その支給処分を経ないで被告国に対し休業補償給付金を求めようとするものであって不適法であることを免れない。

2  なお、原告の右訴えは、一定額の公法上の金銭債権の支払を求める実質的当事者訴訟であると解しうる余地がないではないが、そうだとしても、この右訴えは、支給決定をするか否か、あるいはいかなる内容の支給決定をするかにつき、前記のとおり第一次判断権を法律上付与された労働基準監督署長に代わって裁判所が先行的に支給決定をなすことを求めるのに等しいものであって、前記のような法所定の支給請求手続(及びそこでなされる労働基準監督署長の決定に不服があるときはこれに対する行政争訟手続)を待っていては回復困難な著しい損害を原告が被るなど権力分立の原則の例外を認めてまで原告を緊急に救済せねばならないような特別な事情も見い出せない本件においては、やはり、不適法というべきである。

二  そこで、右休業補償給付金の請求を除く原告のその余の請求について判断すべきところ、被告会社が印材の販売を目的とする会社であることは当事者間に争いがなく、原告が被告会社に昭和五五年三月二七日に入社し、賃金は月額一二万五〇〇〇円、支払方法は前月一五日から当月一五日までの分を毎月二八日に支払う旨の約定であったことは原告と被告会社間において争いがなく、《証拠省略》によると次の事実が認められる。

1  原告は被告会社に入社直後より印材の外交販売の職務に従事してきたところ、昭和五五年四月五日の午後五時ころ、営業先の一宮市方面から被告会社営業所への帰途、名古屋駅のプラットホームから通路への昇降階段を降りる際、他の乗降客と接触したためか階段の側壁に頭部を打つか又は転倒するかして頭部を打撲し、暫く脳震盪様の症状を起こした(以下本件事故という。)。このため、原告は被告会社へ戻ることを断念して帰宅し、翌六日は日曜日でもあったことから自宅で休養したものの依然身体状況が快癒したように感じられないため、翌々七日かねて通院したことのある中部労災病院で診察を受けるとともに同日から同月二八日まで被告会社を休業した(原告が同月二五日まで被告会社を休業したことは当事者間に争いがない。)。

2  ところが、被告会社は昭和五五年四月二八日及び同月三〇日に不渡り手形を出し、負債推定約五〇〇〇万円を残して事実上倒産してしまい、原告以外の従業員二八名は全員そのころ被告会社を退職した。また登記簿上の住所地所在の貸しビル内にあった同社の営業所も閉鎖されて、以後同社は営業活動を全く停止した。しかし、原告は同月二八日まで休業しており、被告会社からも何の連絡も受けていなかったため同社倒産の事実を知らずにいたが、同年五月一日被告会社の前記営業所に赴いたところ、中に一部の商品類が残置されていたものの、入口が施錠されて従業員は誰も出社しておらず、外から電話をかけたが、誰も出なかった。その後、原告は、同年五月五日にも右営業所に赴いたが同様の状況にあり、六月四日には再び電話したところ通話停止中であることが判明した。

3  同年六月五日被告会社の代表取締役杉﨑から中村社会保険事務所長に対し、原告を含む従業員全員について健康保険被保険者資格喪失届が出され、同所長は調査の結果同年四月二九日に同社は倒産したものと判断し、同月三〇日をもって原告は右資格を喪失した旨確認し、同年六月九日、原告に対し、「会社廃止のため」と附記して健康保険者証の返納を求める通知を発し、右通知は同月一一日原告に到達した(右通知が右の日に原告に到達したことは原告被告国において争いがない。)この通知を受けた原告は被告会社が業務上の負傷により療養中の原告に対して何の連絡もせず一方的に営業所を閉鎖してしまったのは労基法一九条、二〇条に違反するのではないかと考え、同年六月一二日中村社会保険事務所長へ右趣旨の書面を送付した他、同月一六日愛知労働基準局にほぼ同旨の申立てをした。

以上の事実関係に基づき、前記各請求につき順次検討する。

三  そこで、原告の被告会社に対する未払給与(昭和五五年三月二七日から同年四月一五日までの間)請求であるが、《証拠省略》によれば、被告会社においては、原告の給与はいわゆる日給月給制と定められ欠勤日については給与が減額される定めであったこと、毎週日曜日と祝日は休日とされていたことが認められるところ、昭和五五年三月一六日から同年四月一五日までの間において、同年三月一六日、同年三月二三日、同年三月三〇日、同年四月六日、同年四月一三日が日曜日であり、同年三月二一日が祝日であったことは当裁判所に顕著な事実である。

これらの事実によれば、昭和五五年三月二七日から同年四月一五日までの間に原告が実際に就労したのは通算九日間であると認められ、右期間の原告の支払を受けるべき賃金は、月額賃金一二万五〇〇〇円を、被告会社における同年四月分の賃金締切期間である同年三月一六日から同年四月一五日までにおける実労働日数二五日(総暦日数三一日から休日である日曜日五日と祝日一日を控除した日数)で除して得た一日当たりの賃金五〇〇〇円に九日を乗じて得た四万五〇〇〇円と認めるのが相当である。とすれば、被告は原告に対し未払給与として右同額を支払う義務がある。

四  次に、被告会社に対する地位確認請求であるが、原告が昭和五五年三月二七日被告会社へ入社し、その従業員として勤務したことは前記のとおりであるところ、本件全証拠によっても、被告会社が原告に対し明示的に解雇の意思表示をしたことを認めることはできない。

1  しかしながら、前記二23で認定の事実によれば、被告会社は原告に対し、昭和五五年五月一日ころにはその営業所を閉鎖して営業活動を廃止することによって、原告との雇用関係を一方的に終了させること、即ち、解雇の意思を黙示的に表示したものと認めるのが相当である。もっとも、原告はその時点では被告会社が不渡り手形を出して倒産し、他の従業員が皆退職してしまったことなどは知る由もなかったのであるから、被告会社に赴くなどして営業所が閉鎖されていることを現認したとしても、当初は何らかの事情による一時的な営業中止で近日中に再開されるのであろうと考えていたことも充分ありうるから、そのころ直ちに被告会社の右意思表示が原告に到達したと解するのは相当ではないが、前記のようにその後も営業所が閉鎖されていることを原告自身確認し、社会保険事務所からも会社が廃止されたとの通知を受けて被告会社による解雇の当否について考えるに至ったことからすると、遅くとも昭和五五年六月一二日中村社会保険事務所長へ前記書面を送付した時点では原告も被告会社の事実行為による黙示的な解雇の意思表示の意味内容を了知したものと認めるべく、右の時点で右意思表示が原告に到達したものと解すべきである。

ただ、被告会社の解雇は、結局労基法二〇条所定の予告期間を置かず、また、予告手当の支払もしなかったものであるから、昭和五五年六月一二日に直ちに解雇の効力が発生したものと解することはできないが、右の日の三〇日後の同年七月一二日の経過によってその効力が発生したものというべきである。

2  この点につき、原告は本件事故により受傷し休業中であったから被告会社による解雇は労基法一九条に違反すると主張する。

そこで、原告の本件事故による受傷及びこれと休業との因果関係であるが、本件事故の発生情況は前記のとおりであるところ、この発生情況そのものについての認定資料となる証拠としては原告本人尋問の結果が唯一のものであるのに、この尋問における原告の供述内容はややあいまいであるばかりか不自然な点も見受けられ、この本人尋問の結果のみから本件事故により、原告が治療や休業を必要とするような傷害を負ったとまで判断するにはいささか躊躇せざるをえないところである。

そこで更に検討をすすめるに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和三六年ころ、大源海運で稼働中頭部を負傷して入院し、労災保険法による諸給付を受け(認定された障害等級一四級)、その後昭和四〇年一月二〇日、日本通運株式会社で稼働中業務上災害に遇い、頭部を負傷して頭蓋骨骨髄炎に罹患し、昭和四三年三月八日治ゆと認定されたが外傷性てんかんの後遺症が残存して障害等級七級の認定を受け、以来同級の障害補償年金の支給を受けてきた。

(二)  原告は、被告会社に入社する一年位前から通院もせず、薬の服用も止めていたが、原告の記憶では月に一、二回程度は、意識消失を伴なわない手のしびれや体の硬直等のてんかんの小発作があった。

(三)  本件事故後、原告は昭和五五年四月七日と同月二八日までの間に一回中部労災病院脳外科に通院したが、右二八日の時点では、鎮痙剤を投与しても時々痙攣発作があり、医師から同月六日から同月二五日までの間は就労不能と診断された。また、同年五月一日から同年六月二日までの間原告は三回右病院に通院し、右期間の症状、治療経過については頭痛、耳鳴りなどの他、鎮痙剤を投与しても月に数回小発作(痙攣発作等)があり、医師からは右期間も就労不能と診断され、また、同年六月三日から同年七月八日までの間にも二回通院し、頭痛、右手のしびれの他痙攣発作が一か月に一〇回程度みられ、右期間就労不能と診断され、同様に同年七月九日から九月一一日までの間は通院四日、主治医の診断は、右期間就労不能、主症状は腰痛、右手足の痛みであり、その後の医師の診断も「時々痙攣発作」、「一か月に一〇回程度の小発作」、「鎮痙剤の投与により痙攣発作なし(昭和五六年三月一一日から同年九月四日)」、「一か月に一〇回程度の小発作」等と推移している(なお、右の医師の診断は、専ら問診の結果に基づくものと推測され、医師が自ら発作を確認したものと認められない。)のであるが、《証拠省略》によれば、原告はその本人尋問において、昭和五五年四月七日の初診の際、同月五日に本件事故にあった旨を医師に告げたと供述しているにも拘らず、第一回の傷病手当金請求書の医師の意見欄(同年四月二八日記載)には、傷病名として「頭蓋骨骨髄炎、てんかん」、発病又は負傷の日「昭和四〇年一月二〇日」、発病又は負傷の原因「外傷」と右(一)認定の日本通運株式会社での労災事故の件が記載されており、同年六月一六日に記載された第二回の右請求書の医師の意見欄も右と同じであり、同年八月一四日記載の第三回の右請求書の医師の意見欄には、傷病名「頭部外傷の疑い」、発病又は負傷の日「昭和五五年四月五日」、発病又は負傷の原因「転倒」とあってここに至って初めて本件事故が発病の原因として挙げられているにすぎず、その後の第四回の右請求書では、傷病名は右と同様であるが、発病又は負傷の日は記載がなく、その原因は「不明」となっており、更にその後の第六回ないし第八回の右請求書では再び昭和四〇年の労災事故が発病の原因として記載されていることが認められるのであって、発病原因に関するこのような医師の意見の内容及びその変遷の状況をみると、主治医もまた、原告の当時の症状が従前のそれより増悪したのかどうか、また、既存疾病である外傷性てんかんに加え、本件事故による受傷が共働原因となって当時の症状が生じているのかどうかについては確たる医学的判断を下しえなかったことが窺われるのである。

右(一)(二)(三)の事実関係に照すと、原告に対する解雇の効力が発生すべき昭和五五年七月一二日当時の原告の症状(主訴)は腰痛及び右手足の痛みであるが、これが本件事故による負傷に起因することを確定することは困難というべきである。また、前記健康保険傷病手当金請求書の医師意見欄には、傷病名の一つとして「てんかん」ないしは「外傷性てんかん」を挙げ、かつ同症状(主訴)があるとの記載がなされているが原告は、元来外傷性てんかんの既存疾病を有していたところ、原告の医師に対する申し立てによる限り、本件事故のころを境にその症状が悪化したかに窺われないではないとはいえ、事故後の発作の回数だけ見ても、月数回又は時々という程度から月に一〇回程度というまで目まぐるしく変転しており果たしてかくも急激に症状が好転したり悪化したりするものか疑問であるといわざるを得ず、この点を措くとしても、本件事故を機に原告のてんかんの症状が急激に増悪したとまで認められるかどうかは、原告の主訴だけではなく、本来、事故の前後における原告の他覚的症状、諸検査結果等をも比較検討せねばならないが、これを明らかにする充分な証拠はないところから、この点についてもにわかに結論を見出し難い。また、仮に原告のてんかん症状が本件事故のころを境に急激に増悪したと認められたとしても、前記のように事故の状況そのものが必ずしも明らかでなく、原告の受けた頭部打撲の部位、程度等も不明であるから、これが果たして医学上既存疾病である外傷性てんかんを急激に増悪させるに足るものであったかどうかも不明というほかなく、従って、医学上の経験則に照らして右事故と原告のてんかん症状の増悪との間に相当因果関係があると認めることも困難である。これらの諸点からすると、結局その余の点について判断するまでもなく、原告は、昭和五五年七月一二日の解雇の効力発生時点で、被告会社の業務により負傷し又は疾病に罹り(既存の疾病の急激な増悪を含む)、その療養のため休業していたとは未だ認めることができないから、原告のこの点の再抗弁は理由がない。

五  原告は請求原因3ないし7の事実を列挙し、これらの事実を原因に被告会社に対し慰藉料を請求するので、右請求原因の順に従い判断する。

1  請求原因3の事実について

《証拠省略》によると、原告は、昭和五五年四月七日から同月二八日までの間に二回程被告会社の従業員(役職者)に労災保険給付請求のための事業主の証明を求めたが、健康保険でかかってくれと言われてこれを拒絶されたことが認められる。しかし、前記四認定説示のように原告が被告会社の業務上負傷し又は疾病に罹患し、このため療養を要するに至ったとは認められないから、右従業員が右の証明を拒んだことによって原告の権利又は法律上保護されるべき利益を侵害したことにはならず、原告に対する不法行為にはなり得ない。

2  請求原因4の事実について

《証拠省略》によれば、原告は、昭和五五年四月二八日本件事故により療養中であることを告げ、健康保険傷病手当金請求書に事業主の証明を受けたが、その際、被告会社の常務又は課長が原告に対し、事業主の証明をする条件として、右請求書の事業主証明欄に「株式会社壹光堂に御迷惑がかかりし時は山口幸一が責任を取ります」と記入するよう強く求めたため、原告は右の文言を記入したことが認められる。被告会社の者が右のような要求をした理由は定かでないが、既に認定のように当時原告には外傷はなく、てんかん症状を有する者は発作時以外は事情を知らない他人には健康人と変わらぬようにしか見えないものであるから、被告会社の者が原告が真実その申し立てるような事故に遇ったのかどうか疑念を抱いたとしても無理からぬところであるし、このように原告が申し立てるような事故があったことを裏付けるような客観的資料がなかったことに加え、原告の意思を完全に抑圧するような威迫が加えられたとまでは認めるに足りる証拠がないことからすれば、原告に対しその意に副わないことをさせた被告会社の者の行為もその妥当性はともかく、違法であるとまでは断ぜられない。しかも、《証拠省略》を総合すると、原告は、被告会社の者に記入させられた右の文言をその後直ちに棒線を引いて抹消した上で右請求書を中村社会保険事務所長に提出し、同事務所長はこれに基づいて健康保険傷病手当金の支給決定をし、原告は昭和五五年五月二六日三万三三五四円の給付を受けたことが認められるのであるから、先に見た被告会社の者の行為の態様、悪質性の程度をも併せ考慮すると、原告は、結果的には金銭で慰藉するに値する程の精神的苦痛を被ったとは認め難く、従って、原告の請求は理由がないものといわざるを得ない。

3  請求原因5の事実について

被告会社が原告に昭和五五年三月二七日から同年四月一五日までの間の給与四万五〇〇〇円(但し、九日分)を支払っていないことは前記二認定のとおりである。

しかし、これまでの認定事実を総合すれば、被告会社がその支払をしなかったのは、原告勤務後最初の給与支払日である昭和五五年四月二八日に原告が勤務についていなかったところへ、その直後に被告会社が倒産し営業所を閉鎖したことによるためであると認められ、被告会社が原告の無知窮迫に乗じてその支払を免れようとしたわけではないことが認められるのである。たしかに、《証拠省略》によれば、被告会社はその後労働基準監督署の勧告にも拘らず、この支払をしていないことが認められるのであるが、右倒産後被告会社が営業を廃してその実体を失ったことからすれば、この給与不払が債務不履行であることは明らかであるにしても、未だ不法行為を構成するとまでは認め難いところである。

4  請求原因6の事実について

被告会社については解散等会社人格の消滅をきたす手続がとられたとの証拠はなく、登記簿上は現在も存続していることは当裁判所に顕著な事実であるが、同社が事実上倒産して営業を全くしていないことは前記認定のとおりであって、いわゆる偽装倒産を疑わせるような証拠もない。前記二2認定のように被告会社が休業中の原告に何の連絡もせずに事業を廃止し、事情を知らない原告を一時的にせよ困惑させたことは使用者としての配慮に欠けるところがあったといわざるを得ないにしても、原告が倒産及び解雇の事実を直接告知しなかった一因は、原告が右のように休業中であったことにもあるのであるし、原告も間もなく事業所の閉鎖等の客観的事情から事態の経緯を把握しうるに至っており、長期間同社の原告に対する雇用の意思の有無を判断し得なかったわけではないことからすれば、連絡もしないまま事業を廃止した同社の措置によって原告が金銭賠償に値する程の精神的苦痛を受けたとも認め難い。

また、原告に対する解雇が有効であることは前記四認定説示のとおりであるから、被告会社が原告との雇用関係を争って従業員として扱わないことも不法行為とはなり得ない。

5  請求原因7の事実について

《証拠省略》によれば、原告の昭和五五年五月一日から昭和五六年三月一〇日までを請求期間とする健康保険傷病手当金請求書七通に事業主の証明を受けていないこと、原告の請求に拘らず原告が右期間の右傷病手当金の支給を受けられなかったことが認められるが、後記六で認定説示のように中村社会保険事務所長の健康保険被保険者資格喪失確認処分によって原告は昭和五五年四月三〇日をもって右資格を喪失しており、従って、同年五月一日以降については仮に事業主の証明を受けたとしても原告が右傷病手当金の支給を受けることはできないのであるから、仮に原告が主張するように被告会社が事業主の証明を拒んだことがあるとしても、そのことと原告が右傷病手当金の支給を受けられなかったこととは因果関係がなく、従って、原告の請求は理由がない。

六  次に、被告国に対する原告が健康保険の被保険者であることの確認請求について判断する。

1  原告が被告会社の事業所に使用されていた健康保険の被保険者であったことは原告被告国間に争いがなく、被告国が原告は右資格を喪失したとして原告が被保険者であることを争っていることは当裁判所に顕著な事実である。

ところで健康保険法は、原則として強制加入主義を採用し、一定の事業所に使用される者はその意思にかかわりなく使用されるに至った日に被保険者となることを定めており(一三条、一七条)、他方、事業所に使用されなくなった日の翌日に被保険者資格を喪失すると定めている(一八条)。

このように被保険者資格の得喪は、事業主との使用関係の有無によって決せられることとなるが、健康保険法が強制加入主義をとったのは危険度の高い者のみが加入する逆選択を防止するとともに、労働者の生活の安定を目的とした同法の趣旨に鑑み、できる限り広範囲の労働者に同保険制度の利益を及ぼすためであると解されることからすれば、右にいう「使用関係」の有無を判断するに当たっては、一方では形式的な雇用契約の有無にとらわれることなく、実質的に事業主に労務又は役務を提供しその対価を得ている者であれば、使用関係を肯定すべきであるし、他方形式上雇用契約が存在しても、右のような実質を備えていない者については、同法が保障の対象とした労働者の範疇に入らず、その使用関係は否定されるものと解するのが相当である(このような者に対する保障は国民健康保険に委ねられていると解される。)。

なお、右のとおり健康保険法は使用関係の有無を被保険者資格得喪の要件とするが、その資格得喪の効力発生を保険者の確認にかからしめており(二一条の二)、従って、保険者の確認があるまでは右資格の得喪の要件が備わってもその効力が発生しないが、確認がなされると使用関係の生じた日又は喪失した日に遡って資格得喪の効力が発生するものと解される。

2  これを本件について見るに、原告は、遅くとも被告会社が事実上倒産して営業所も閉鎖し、客観的に原告が同社で就労する可能性のなくなった昭和五五年五月一日には同社に使用されなくなったと認めるのが相当である。しかして、中村社会保険事務所長が同年六月ころ、被保険者資格喪失の日を被告会社が一回目の不渡り手形を出した日の翌々日である同年四月三〇日として原告の右資格喪失の確認をしたことは前記二3で認定のとおりであり、本件では同年五月一日前に営業所が閉鎖されたという確たる証拠はないが、反対に同年四月二九日及び三〇日に同社が営業していたことを認めるに足りる積極的証拠もなく、一回目の手形不渡りを出した日の翌日である同年四月二九日をもって原告が同社に使用されなくなった日とした同事務所長の判断も必ずしも不合理とはいえないから、同事務所長のした右確認処分には無効原因となるような明白な瑕疵があると認めることはできない。従って、原告は、右確認によって昭和五五年四月三〇日に遡って健康保険被保険者資格を喪失したものというべきであるから、この点についての被告国の抗弁は理由があり、原告の再抗弁は失当である。

七  原告は請求原因9、10、11の事実を列挙し、これらの事実を原因に被告国に対する慰藉料を請求するので、右請求原因の順に従い判断する。

1  請求原因9の事実について

右請求原因事実は原告被告国間で争いがないが、原告は昭和五五年四月三〇日に健康保険被保険者資格を喪失したことは前記六認定説示のとおりであるから、右同日以降も原告が右資格を有することを前提とする原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

2  請求原因10の事実について

(一)  原告が昭和五五年六月一六日被告国の機関である愛知労働基準局に対し、被告会社が原告の同年四月分及び五月分の賃金を支払わないことを是正させるよう申告したことは原告被告国において争いがなく、その際、更に原告は同社が業務上の負傷により療養中の原告に何の連絡もせず、一方的に営業所を閉鎖してしまったのは労基法一九条、二〇条に違反するのではないかとの趣旨の申し立てをしたことは前記二3で認定のとおりである。

(二)  《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 昭和五五年六月一六日に原告に応対した愛知労働基準局の監督官は、右(一)の原告の申告申立のうち、労基法一九条違反の疑いを原告が申し立てたとは理解しなかったが、給与未払と労基法二〇条違反の点についてはその疑いがあると判断して原告の申立を受理し、同労働基準局長は、同日右申告事件を被告会社の所在地を管轄する名古屋西労働基準監督署に移送した。

(2) その後右監督署の監督官は被告会社の営業所に赴いてこれが閉鎖されていることを確認し、営業所のあるビルの管理人に問い合わせるなどして代表者杉﨑の所在を調査したが容易に判明せずにいたところ、同年一〇月に至って原告からの情報により杉﨑が津島市に居住するらしいことが判り、右申告事件は津島労働基準監督署に移送され、同監督署の監督官が更に調査を続行して同年一〇月一七日杉﨑の居住地を突き止め、杉﨑が不在であったため、同社の取締役でもあるその妻美代子に、同年一一月二〇日までに同年四月分及び五月分の賃金の各一部計六万円を原告に支払うよう勧告する是正勧告書を交付した。同年一〇月二五日、監督官が杉﨑方に電話したところ、杉﨑は賃金は本来支払う必要はないが、この際半額なら支払うと述べたものの、その後は何度か出頭要求書を送付しても杉﨑はこれに応ぜず、同年一二月二〇日に至ってようやく出頭し、是正勧告どおり六万円を原告に支払うと述べた。しかし、昭和五六年に入って杉﨑は再び転居して所在不明となり、同年三月名古屋市中川区に居住することが判明して事件は名古屋南労働基準監督署に移送された。

(3) 右移送に先立ち、津島労働基準監督署は、被告会社と原告の雇用関係について調査の結果、同社が事業場を閉鎖し原告がその事実を了知しうる状態におかれた昭和五五年五月一日に外形的事実による黙示の解雇の意思表示が原告になされたとみるのが判例等から見て相当であり、右の日の翌日から三〇日後の同月三一日をもって同社と原告の労働契約は終了したものと判断し、昭和五六年二月一六日付で原告にその旨通知した。

右(二)の認定事実によれば、各労働基準監督署の監督官は鋭意杉﨑の所在を追及してこれを突き止め、未払給与を支払うよう書面で勧告して一旦はこれを杉﨑に承諾させているのであるから、原告の給与未払の是正申告を放置していた事実はない。

また、原告の被告会社との雇用関係に関する申し立てについてはこれが厳密な意味で労基法一〇四条の申告といえるかどうかはとも角、津島労働基準監督署も調査の結果前記のとおりの判断をしてこれを原告に通知しており、その処理に違法な点があったとは認められない(雇用契約終了の日をどの時点と見るかについては当裁判所の判断と若干異なるが、そのことによって労働基準監督署の処理が違法となるものではない)。

なお、原告の労基法一九条違反の申し立てについては応対した監督官はかような申し立てがあったとは理解していないのであるが、その点はとも角、被告会社の原告に対する解雇が労基法一九条に違反すると認められないことは既に認定説示のとおりであるから、監督官や労働基準監督署等が原告の期待する是正勧告措置をとらなかったことにより原告の権利又は法的利益が侵害されたと認めることはできず、原告の請求は理由がない。

3  請求原因11の事実について

原告に対し労災保険法に基づく休業補償給付が支給されていないことは原告被告国に争いがないが、冒頭一で認定説示のように右給付は被災労働者からの同法施行規則一三条所定の請求書による請求がなされるのを受けて労働基準監督署長が支給決定をすべきところ、原告は、右請求書による適式な請求をしていないのであるから、労働基準監督署長が休業補償給付を支給していないことについて何ら違法な点はない。

八  結論

以上判断してきたとおりであって、原告の本訴請求のうち、被告国に対し労災保険法に基づく休業補償給付二七三万七〇六二円の支払を求める訴えは不適法であるから却下し、被告会社に対する請求は未払給与四万五〇〇〇円及びこれに対する弁済期の後である昭和五五年五月一日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の被告会社及び被告国に対する請求はいずれも理由がないからこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮本増 裁判官 福田晧一 佐藤明)

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